2017年5月、ゴールデンウィーク最終日、埼玉秩父の山奥にある「岳集落(嶽集落)」へと車で向かっていた。
岳集落の人口は、1955年の時点では10戸44人だったが、徐々に減少し、廃村となった。
暗くない、しかし明るすぎない、曇りがちの、廃村訪問には最適な天候だった。
しばらく走っていると、大きなダムが現れた。
浦山ダムというらしい。
眼前に聳えるダムを撫でるように見つめながら、何年も前にテレビでダムマニアに関する特集があったことを思い出す。
確かにこの巨大建造物にはロマンがある。
エジプトのピラミッドもカンボジアのアンコールワットもそうだが、今巨大建造物の乱立するこの世界から突如人間が消えたなら、10年後にはどうなっているのだろうなどと想像が掻き立てられる。私は人類が消えたあとの東京都庁や国会議事堂あたりがどうなるのかが気になる。まあお目にかかることはできないけれど。
そこから引き返して、廃村のある山に入っていこうと橋を渡ったとき、道路に真っ赤な尻をした猿がいた。
人に慣れているのか、こちらに気付いても動かない。
さらに近付くと、ようやく重い腰を上げて茂みの方へゆっくりと歩いていった。
以前奈良の秘境・十津川村(日本一大きい村なのに人口が1000人くらいだったか、とにかく人口密度がトップレベルに低い)あたりを車で走ったときも何匹か猿を見かけた。そのレベルのド田舎ということなのだろう。豊かな自然がそこにあることを物語っている。
廃村に向かう道は通常のGoogle Mapsに表示されなかったため、上空写真に切り替えて、廃村に近いスペースを見つけてそこに車を停めた。
直後に別の車がやってきた。彼らの目的地もまた、廃村のようだった。
この廃村は、かつて人気ホラー系ゲームSIRENの舞台のモデルとなったらしく、以来一部の人たちの間で人気スポットになっているという。
ダム湖と、それを取り囲む雄大な緑のパノラマが眼前に広がる。
道が分からないため、だいたいの方角に向かって進み出す。
少し進むと、農家らしきおじさんが「どこにいくんだ」と大きな声を掛けてくる。
廃村に行きたいと言うのは憚られたので、廃村内にある「十二社神社」に行きたいと告げると、「こっちの方から行ける」と教えてくれた。
そうして、細い半獣道を蜘蛛の巣を破りながら抜けていった。
しばらく歩くと、そこにあったのは、誰もいない時の止まった村・岳集落だった。
人里離れた秩父の山奥に今もひっそりと佇む、潰れ崩れ朽ち果てし家屋の数々が眼前に広がる。
床は抜け、屋根はずり落ち、柱は倒れ、壁は崩れ…とにかくボロボロだ。
お風呂やトイレ、棚や臼、小さな靴、40年前のタウンページのようなものなど、生活感のある日常の風景のなれの果てがそこにはあった。
高い木々で集落全体が覆われている。ここは常に日陰なのかもしれない。
遅くとも江戸時代には存在していた集落。
土蔵のようなところに落ちていた(というより誰かが盗りだして置いていったのだろう)教科書や聖書を拾ってみれば、なんと出版時期が大正時代、明治時代。赤丸などがところどころについている。
人々がこの地からいなくなってどれだけの年月が経ったのかは知らない。
だが、確かに誰かがここで生活を営んでいた痕跡があった。
聳える大木たちは、その一部始終を見てきたのかもしれなかった。
集落の奥にある十二社神社だけは管理されているようで、綺麗だった。
お酒などのお供え物がいくつか置いてあった。
神道や仏教を信仰しているわけでもないが、神社や寺はその静けさと異世界感が好きだ。
歩いていると道が目の前で二つに分かれた。
向かって右手が崖のようになっている細い道を走って奥に進んでみた。
冒険心が溢れだし、走り出さずにはいられなかったのだ。
そんな気持ちにさせてくれる空間だった。(が、延々と続きそうだったので引き返した)
ボロボロの自転車やタイヤがいくつかうち捨てられている。
ひっそりと佇む墓地もある。
あまりに静寂だ。
墓地のさらにその奥に道があったので走って上ってみると、綺麗な墓がいくつかあった。
意外にも、平成20年くらいの墓もある。
そこに1本だけ赤い木が生えていたことを覚えている。
崖状になったところを、木を使いながらサーフィンのようにして下り、皆と合流した。
私が駆け回っている間、瞼を閉じることなく深緑の底に横たわるフクロウを仲間が見つけていた。
老衰か何かだったのだろうか。大きな存在感を放っていた。
カエルか何かの変わった鳴き声がする。
聴こえてくる方に近付くと、鳴り止んだ。
私有地の近くに焦げた木が何本か立っている。
2013年にここで自殺しようとした人が火災を発生させたらしい。
その近くの小さなお地蔵さんの列のそばに立て看板がある。
過去にそのうちの1つが盗まれたのだそうで「返してください」と書かれていた。
小さなお地蔵さんは色違いの布に身を包んでおり、表情が一つ一つ微妙に違っていた。
何時間ここにいただろうか。
18時を過ぎたあたりで、帰ることにした。
朽ちた廃屋たちは、放っておけばいずれ、あいも変わらず静かに息吹く大自然に飲み込まれてしまうのだろう。
地球から人類が消えたなら、きっとあの東京都庁や国会議事堂でさえ深緑の彼方に消えるだろう。
人々が遺した爪痕は、海辺の砂浜に刻んだ文字のように掻き消されてしまう。
ゆっくりと、しかし力強く。
そんな母なる大自然に負けないように、地に足つけて逞しく生きてゆきたい。
そして爪痕をしっかりと遺したい。
帰り際、ダム湖が一望できる場所で立ち止まった。
おじさんに声をかけられた直前以来、蜘蛛の巣対策としてずっと携帯していた魔法の杖のような木の棒を、ダムの方向に向かって勢いよく投げた。
口を噤んで耳を澄ませば、空を切る風の音と、鳥々の声、そして自分が生きる音だけが静かに響く。
眼前に超然と佇む山々は、市販のクレヨンでは決して表現できなさそうな、何百もの色彩を呈している。
その上には、霞みがかって捉えどころのない水色を基調とした空が延々と拡がり、そこに浮かぶバニラ色の雲々の色ともども、西日がゆっくりと赤みを加えてゆく。
地球って素晴らしい。
そう思えた一日だった。
2017.05
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