~2018年10月、メキシコシティで出逢ったペルー人を尋ねてペルーの首都近郊に滞在後、ベネズエラ難民のパフォーマーから教えてもらった「シャーマン」を求めてアマゾンにある「陸路では行けない世界最大の街」イキトスの郊外にてシャーマン修行に勤しんだ私は、再び街へと戻りしばらく過ごしたあと、アマゾン川を下りはじめた~
ペルーのイキトスから船に乗ってアマゾン川を下り、コロンビア最南端の街レティシアに着いた翌日、10月17日のこと。目覚めたのは8時過ぎ。この日は快晴。水色のプールが輝いている。シャワーを浴びた。
この日は、入国管理局に行くというミッションがあった。このままでは不法入国になってしまうからだ。宿の他の連中もここに来たばかりとのことで、一緒に行くことになった。
髭をたくわえたアラブ系イギリス人男性Faheem、溌剌としたベルギー人女性Pia、陽気なコロンビア人男性Juanの3人に加え、到着した夜にビールを2瓶くれたファンキーでちょっと頭のイッたコロンビア人男性Fernandoも行くはずだったが、過飲酒と睡眠不足のため難しいとのことで結局来なかった。彼らは皆30~35歳くらいだった。
7年間も旅しているというFernandoは少し前にブラジルで金品など全てを奪われたらしく、パスポート再発行などのためにコロンビアの首都ボゴタに寄ってからスペインに行くという。
麻薬密輸で日本に収監された友達に会いに日本に行ったことがあるとか、最近コスタリカでBMWに乗っていた彼のおじさんが強盗に殺されたとか言っていた。
彼らは皆、ブラジルのマナウスからハンモック船で1週間かけてこの街にやってくる中で知り合ったそうだが、彼だけは無賃乗船だったらしい。
ベルギー人のPia以外は皆この日の晩の深夜便でボゴタに向かうことになっていた。
露店でエンパナーダなどを食べたあと、船乗り場から船に乗った。
まずボートで入国管理局に行って手続きをして、不法入国状態を解消。
それからモンキーアイランドという猿まみれの島に向かうことになった。
路上で買い食いして、港で交渉して、ボートに乗り込む。
途中でペルー領土内に入り、ドライバーがガソリンを購入後、2時間ほどかけて島へ。
何も変わらない景色がひたすら続く。
川に浮かぶ草木と全身に受ける風のお陰で、進んでいることはなんとか分かった。
La isla de los micos。猿の島。
この島には小さな猿がたくさんいて、私たちにたくさん群がってきた。
バナナを手に取ると、一斉に襲いかかってくる。
体中が汚れたが、愉快な時間を過ごすことができた。
他にも何かできると思っていたが、小猿たちと交流したあと、手などを洗ってから、すぐにその島をあとにすることになった。興味深い体験だったが、ただそれだけだったので拍子抜けだった。
何時間も待って十分やそこらで終わるなんて、遊園地のジェットコースターのようだ。
レティシア方面に戻る中で、Piaが船頭に座り、瞑想のポーズをした。
続いてFaheemもヨガのポーズを。皆が写真を撮る。
私もやってみた。そのとき、背後に虹がかかっていることに誰かが気付いた。
その美しい光景を、皆で共有し、味わった。
ボートは、ペルー側のアマゾン川沿岸の小さな村に到着した。
Puerto Alegriaというその村に入ると、現地のおばさんたちが動物を連れてきた。
大きなインコ、小さなワニ、ナマケモノ、小猿、ヒョウのような小さい猫などを、触れたり写真を撮ったりした。
そのあと、子供たちとボールを蹴ったりして遊んだ。土産物も売っていた。
ボート内が「今日は良い日だった」と明るい雰囲気で包まれる中、私は不完全燃焼感が強かった。
一つ目の理由は、La isla de los micosで、ただ小猿と触れ合っただけで帰ることになってしまったこと。現地スタッフは特に何も言っていなかったとはいえ、何か見落としていたかもしれない。もっと島内を探険すればよかった。
二つ目は、Puerto Alegriaの一部しか見ずに帰ることになってしまったこと。動物と土産物に触れただけで終わってしまった。狭い村とはいえ、もっと歩いて雰囲気を感じたかった。地図アプリを開いてみると、大きめの池があった。それを見ておくべきだったと悔いた。
もっと明るい雰囲気でいればよかったが、この日はあまりそれができなかった。
そうすればもっと会話に参加できて、もっと楽しく過ごすことができたのに。
実は朝から体調が悪かった。夜になって頭痛が現れ、その後1ヶ月ほど体調を崩すことになる。シャーマン修行のせいだったのだろうか。のちに医者にも見てもらったが、原因は分からなかった。
街に戻ってすぐ、4人でサンタンデール広場に向かって歩いた。レティシアの中心的広場だ。
宿のオーナーのLuisaから、夕方17時20分頃になるとその広場に大勢の鳥が大挙して集まってくるという話を聞いていたからだ。
そのときは17時40分頃だったが、薄暗くなった空を見上げると数多の小鳥たちが鳴き声をあげながら凄い勢いで同じ方向に向かって飛んでいくのが見えた。
案の定、広場は糞まみれ。木々は小鳥たちの大合唱の居城と化していた。
私は手持ちの残金が1600ペソ(50円くらい)という状況であったため、早くATMでお金を下ろしたいという気持ちが先行してしまい、あまり心を落ち着けることができなかった。
露店でエンパナーダなどを食べてから、宿に帰りがてらATMを探して3軒目、しっかり引き出してから先に行ってもらった彼らに宿の前で追いついた。
すぐさまシャワーを浴びる。両隣のシャワールームに一向に人が入ってこないので、皆何してるんだろうと思いながら、小猿たちで汚れた衣類もろとも身体を洗った。
サッパリして部屋に戻ると、3人が深刻な顔をして何やら話している。
どうしたの?と尋ねると、Piaがリュックに入れていた現金150ユーロがなくなったという。
私はあまり驚かなかった。すぐさま、Fernandoの仕業で間違いないと悟った。
なぜなら私は、出逢ったときから彼を不審な要注意人物と感じていたからだ。
彼はどこにいる?と聞くと、もうここにはいないと言う。
しかし、Piaを除く3人の男性陣は、夜に皆で宿を出て空港に向かうという話をしていたはずだ。
笑顔の絶えなかった楽しい1日が、一瞬にして曇り始めた。
私とFaheemの所持品は無事だった。
Juanはどうだったかというと、昨夜18時前後に自身の現金の紛失に気付いたということをいきなり告白しはじめた。
なぜそれを誰にも言わなかったのかと皆が尋ねる。
盗られたことは確実だと分かっていたが、誰がやったか分からないから何も言えなかったのだとJuanは答える。いやいや…それってどうなのか。盗まれたことにショックを受けて、報告することにまで頭が回らなかったのだろうか。
オーナーのLuisaに伝えると驚いた様子を見せて、本当にちゃんと隈なく探した?とPiaに尋ねた。
然るべき反応だろう。犯人探しを始める前に、そもそも本当に犯行が起きたのかをハッキリさせておかなければならない。
私はやってないわよ、というLuisa。
皆それは分かっている。発覚直後から皆、Fernando以外を疑ってはいない。
それに、Luisaはそのようなことをするタイプの人間には到底思えなかった。なんせLuisaはお金持ちだ。コロンビアでは月給3万円程度の人たちが多い中、彼女の娘は年間50万以上の学費がかかる有名私大に通っている。
「本当になくなった」「Juanも盗られている」と皆が説明する。
じゃあなぜそれをすぐに言わないの、とLuisa。
それからJuanとLuisaはスペイン語で、FaheemとPiaは英語で、立ったままあれこれ話していた。
その間に座っていた私は、傾ける耳を双方に移しながら、展開を見守った。
私がFernandoと出逢った昨夜から彼のことを要注意人物と見なしていたのは、いくつかの理由があった。
- 少々イッたような目、ラリったようなテンションなどから醸し出される犯罪臭が強かった。
- 彼は今30歳で、23歳のときから7年間も世界を旅してきたのだと語っていた。雰囲気も相まって「7年間もフラフラしているのか。大丈夫か?」という感想を抱いた。(長期放浪者にはたまにヤバい奴がいる)
- 彼は日本に行ったことがあると言った。しかし8日間だけの滞在だったという。麻薬密輸で拘束された友達に会いに行ったとのことだったが、どこに行ったかは覚えていないと言っていた。また、コロンビア人が日本に入国するのはビザの関係で相当の手間がかかる。なのにわざわざ行って、しかも8日間だけの滞在、そもそも場所すら覚えていないなんて不自然すぎる。虚言癖があるのかもしれないと感じた。
- ブラジルのマナウスからハンモック船でレティシアに来るにあたって、彼だけは無賃乗船だったという話を昨晩にPiaから聞いていた。それは窃盗に等しい。そんなことをするスピリットを持つ人物は要注意でしかないと感じた。
- コスタリカに行かなければならないと言っていた。BMWに乗った叔父がピストル強盗に遭って殺されたからだという。それまでに感じていた胡散臭さを踏まえ、なんか嘘くさいと感じた。スペインに行くと言っていたのはどうした。
- ブラジルで夜に街を歩いていたときに銃を突きつけられてパスポートも現金も全て奪われたと言っていた。だからこれからボゴタの大使館でパスポートを再発行すると。その話が本当で、もし今資金がないのなら、盗みを働く可能性は高まる。
- 皆で出かけようぜと何度か誘ってきたにも関わらずドタキャンしたこと。留守の間に盗みを働く可能性もあるなと感じていた。
だから私は寝ている間も出かけている間も、メインのバックパックには南京錠をかけておいた。
一方で3人は、ハンモック船での1週間を彼と過ごしている。
4ヶ月ほどかけて南米を廻っていたJuanはコロンビア人同士という同胞感、他の2人は言葉はあまり通じないけれど楽しく過ごした記憶から、彼のことを狂った奴だと感じながらも、警戒心を抱いていなかったようだ。
低予算バックパッカーにとって150ユーロはデカい(30泊近くはできる)し、1週間も一緒に過ごして打ち解けていたつもりの人間に裏切られたことへのショックが大きいようだった。
彼は昨晩11本のビールを飲み、終始スピーカーで音楽を流し、オーナーのLuisaは何度も注意したが聞く耳を持たなかったのだという。確かに深夜でも音楽が少しうるさかった。
「振り返れば彼は色々怪しかった」と皆口々に言い出す。
これは皆にとってのレッスンだった、とPiaを慰めながらFaheemは言う。
不可解だったのは、この前日、FernandoがJuanと一緒に代理店に航空券を買いに行ったということだ。2人は同じ深夜便を取ったそうだが、盗みを働くつもりなら、盗んだあとは二度と姿を現わそうとしないだろう。それなのになぜ同じ便を取ったのか。
その時点では盗むことは考えていなかったのか?
あまり利口でなく先のことが読めない人間である可能性が高い。
一緒に空港に行くと言ったくせに午前中に荷物を持ってチェックアウトしていったという怪しさしかない行為を見るにつけても、空港に現れない可能性の方が高いのではないかと思った。
私たち4人は警察署に向かった。
被害者の2人以外は行く必要がなかったが、どんな展開になるのか気になり、一緒に行くことにした。
夜遅くであったため担当者がいなかったが、わざわざ来てもらうことになった。
待っている間、そこにいたJuanや警官らと雑談するか、蚊に刺されないように歩き回るかしていた。
目線の動きからして明らかにPiaに惚れているFaheemは、2人並んで座ってずっと話し込んでいた。Faheemが付いてきた目的はそれだろう。
担当者が到着し、建物に入る。
Juanが状況を説明し、私たちは椅子に座って待機した。
Fernandoの航空券がキャンセルされた形跡はないこと、Luisaの持つ宿泊者データから入手した彼の国民証明ナンバーから得られた情報によると、彼は窃盗系の罪で服役していたことがあるということなどが明らかになった。
ここで全てが確信に変わった。
今朝まで楽しく会話していた人間がまさか裏切るなんて普通は思わない。
私以外の皆は彼と1週間ほどの付き合いがあったため、かなりショックを受けているようだった。
明るく楽しく振舞っていたのに、裏では相手を搾取する対象として捉えていただなんて、つくづく薄ら寒い。
彼は世界中に友達がいると誇らしげに語っていた。
そんな彼の心に、それらの”友達”はどう映っているのだろうか。
彼は今までどんな人生を歩んできて、これからどんな人生を歩んでゆくのだろうか。
最後の最後までに、自分の愚かさを悟る瞬間は訪れるのだろうか。
20-30分ほど経ってから、真摯に担当してくれた警察官に礼を言い、彼が案内してくれた近くのレストランに入った。Juanが皆に英語で警察官との会話内容を説明する。
Fernandoは空港に現れるのだろうか。恐らく来ないだろう。あるいは顔を隠してやってくるだろう。
すっかり疲れていた私は、早く宿に戻りたい一心だった。雑談にもあまり参加しなかった。
少し話しても、勝手に失速して、その繰り返しに終始した。
23時頃だったか、レストランを出て、別れを告げ合った。
大きなバックパックを背負う2人は北へ、軽装の2人は南へと、それぞれ進んだ。
旅にこのような別れはよくあることだね、とPiaは言った。
今日のことをいつか笑える日が来るよと彼女に伝えた。
2018.10
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