世界で最も有名な絵画と言えば、モナ・リザかもしれない。
記憶に残る最初のモナ・リザは、実家の冷蔵庫に貼られていた2つの磁石。
恐らく父が昔の旅行か出張でフランスに赴いた際に買ってきたと思われる。
中学1年のとき、家族でフランスを旅行する機会があり、ルーヴル美術館でモナ・リザを観た。
あまりに人が多く、また大抵の人が各々の携帯などで写真に収めようとしていたのが印象的であった。
一緒に写るならともかく、その場でモナ・リザ単体をわざわざ撮ろうとするのは滑稽だと感じたものだった。
それから5年が経ち、大阪の寮で浪人生活を送っていた私は、自分の部屋のドアに、外側からモナ・リザの磁石を貼り付けていた。
そんなある日、ニート的生活を送っていた私はいつものように自転車でどこかに出かけた。
その帰り道、午後3時頃だっただろうか、医学部を目指して三浪していたとある寮生がランニングしているのを見かけた。
寮には駐輪場がなかったため、寮生には自転車の所有が認められていなかった。
彼はルールに厳しい口うるさい人間であったため、自転車を使っていることがバレないようにと思い、速やかに回り道をして自転車を停め、寮に駆け込んだ。
私が自転車に乗っているところを目撃したかもしれない彼に咎められると面倒だと思い、足早にエレベーターに乗ろうとした。しかし、階数表示は8階で光っている。
待っている間に、彼が玄関から入ってきて、何か言われるかもしれない―。
そう判断した私は、それまでほぼ使うことのなかった階段で部屋に戻ることにした。
私の部屋は8階建ての建物の6階にあるので、常にエレベーターを使っていた。階段を使う機会といえばせいぜい2階の自習室に1階から行くときくらいだったが、そもそも自習室を使うこともほぼなかった。
そして4階に辿り着いたとき。
踊り場の非常扉に貼り付いたモナ・リザがこちらを見て微笑んでいた。
あれ、これは俺のじゃないか?
そう思いながらも、6階の自分の部屋の前まで駆け上った。
すると、私のドアから彼女が消えていた。
昼頃に出かけたときには確かにあったのに。
「やはり」と4階に引き返し、連れ戻す。
それ以後は、ドアの内側に貼り付けることにした。
誰がやったのかは分からないが、あのとき普段は使わない階段を昇っていなかったら、モナ・リザがどこにいったのかは少なくともすぐには分からなかった。あれはモナ・リザの導きだったのではないかと思っている。
大学に入ると三つのモナリザをアパートのドアの内側に貼り、留学先のコロンビアでもボテロ博物館でデブのモナ・リザを拝み、その磁石を帰国日に購入し、時にモナ・リザのTシャツを着て、それから社会人になり何年か経った今も、マンションの玄関ドアの内側には3人のモナ・リザが微笑んでいる。
2019.04.20 作成
2023.03.03 更新
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