YouTubeの明らかに胡散臭い広告、なんで未だに野放しなのか分かりません。どうもHATHAです。
世の中、胡散臭い人は少数派だと思うが、Twitterなどを見ていると、そうとは思えなくなってくるから困る。大手外コン社員だろうが名門大学の学生だろうが、胡散臭い奴は必ずいる。
というわけでこの記事では、胡散臭いと感じる人間・モノ・単語を、独断と偏見と嫌悪感を以て列挙していきます。
- 人脈や繋がりをやたらと求める人
- 師匠やらメンターやらに傾倒している人
- 個性心理学/個性心理學/動物占いを好む人
- 「最幸の志事」とか「顔晴ろう」とか「人財」とか書いちゃう人
- 顔文字や絵文字、♪などの記号を文中で多用する人
- 飲み会を開催しまくる人
- 仕事内容を尋ねても謎にボカす人
- LINEとFacebookでの名前が本名じゃない人
- 肩書きが大量、かつそれを前面に出す人
- Twitterに沸き散らかす量産型キラキラビジネスアカウント
- SNSで露骨なプロフィール誘導をする人
- 副業などでの稼ぎ方を教えるとか言って公式LINEなどに誘導する人
- 全方位的な愛をやたら前面に押し出す人
- 皆に笑顔になってほしがる人
- 福利厚生がやたら多い会社
- 求人や説明会で社長の存在が強く打ち出されている会社
- マッチングアプリでテンプレ文を送ってくる人
- 挫折からの活躍を前面に出したがる人
- 世の中は胡散臭い何かでいっぱい
人脈や繋がりをやたらと求める人
意識高い系ウェイに多い。血の通った人脈であるかどうかなど気にも留めず、色んな場に顔を出してはたくさんの無意味な名刺を持ち去っていく。人脈や繋がりのような言葉を好む人たちは、とりあえず繋がることにばかり意識がいってしまっている場合が多い、という印象が強い。何か目的があって、そのために必要な人脈作りなら本人にとって意義深いと思うが、いずれにせよ「人を利用していこう」感が醸し出されていると途端に胡散臭い。
師匠やらメンターやらに傾倒している人
権威ある特定の誰かに盲目的に心酔・崇拝してしまう人は危険。その時点で小物確定。迷える子羊になるのは普通のことだが、全てを一人二人の人間から学ぼうとするのは浅はか。完璧な人間などいない。自分の感性に合っているとも限らない。「この人のこういうところは参考にしよう、あの人のああいうところはどうかと思うけど、この部分は自分にも取り入れてみよう」が健全。己の哲学のルーツは特定の他者ではなく、目に触れるもの全てであるべきだ。その結果がここにいる自分であり、信仰する宗教を尋ねられれば、内心では「自分です」と答えるくらいでいい。(実際にそう答えたら変な奴だと思われる可能性が高いので非推奨)
個性心理学/個性心理學/動物占いを好む人
生年月日をもとに人間を12種類の特性(ライオンなどの動物の名前が用いられる)に分類した自称「学問」。アムウェイの人たちが好んで持ち出してくる印象。動物という親しみやすそうなものを前面に出すことで胡散臭さを少しでも軽減したいのだろうか。情弱を取り込もうとしている感が伝わってくる。
「最幸の志事」とか「顔晴ろう」とか「人財」とか書いちゃう人
言わずもがな、それぞれ「最高の仕事」「頑張ろう」「人材」のモジリ。自己啓発界隈やネットワークビジネス界隈に多く見られる。
顔文字や絵文字、♪などの記号を文中で多用する人
その人のパーソナリティ次第ではある。多用していても違和感のない人もいる。一方で不自然さを感じさせてくる人がいるのも事実。特に男。いわゆるおじさん構文みたいに気持ち悪い感じになっていることを自覚すべし。警戒心を解こうという気持ちが滲み出てしまうのだろうか。
飲み会を開催しまくる人
出会いやコミュニケーション好きなただのガチ陽キャという場合もあるが、そこに集まる人をターゲットに何かしようと企んでいる人も少なくない。ネットワークビジネスやら情報商材やら、何かしらの営業に繋げられたりする。
仕事内容を尋ねても謎にボカす人
ボカす必要がある人がいるのも事実だが、何かしらやましいことをしている自覚があるケースが多い。大抵はネットワークビジネスや詐欺まがいのことをやっている。
LINEとFacebookでの名前が本名じゃない人
単にニックネームや活動名義、または職業柄そうするのが無難というケースも多い(風俗嬢など)が、何かやましいことを隠している可能性もある。
肩書きが大量、かつそれを前面に出す人
自信のなさの表れであると考えられるケースも。権威性をアピールする人間は他者を操作したがる傾向にあるので、迂闊に近づくと面倒事に巻き込まれやすくなる。
Twitterに沸き散らかす量産型キラキラビジネスアカウント
Twitterには、似たようなプロフィールのキラキラビジネス系アカウントが腐るほど転がっている。ユーザー名やプロフィール画像のテイスト、プロフィール文の構成やツイート内容など、似通ったものが多い。皆同じような情報商材を参考にしているのだろう。
また、彼らの多くに見られる特徴として、
- 常にテンションが高い
- 「おはようございます」ツイートしがち(同じ界隈の奴らがリプ欄で返答しがち)
- 普通の内容でもフォロワー数に対するいいね率がやたら高い
- ツイート数に対していいね数がやたら多い(10倍とか20倍以上)
3つ目については、恐らく界隈で繋がって相互フォロー相互いいねをしているからだと思われる。大学ミスコン界隈でも別の大学の出場者同士で相互投票するというのはよくあるらしいが、キラキラビジネス界隈でも、内輪で押し合いみたいなものがあるのだと思われる。(「いいね」を貰うためには返報性に期待して「いいね」しましょう、的な)
4つ目については、例えばTwitter登録2年ちょうどで5000程度のツイート数に対して40万超のいいね数の者を見かけたことがある。1日平均550いいね押してることになるのはなかなか厳つい。ちゃんと読んでいるのだろうか。
私事で恐縮だが、量産型への嫌悪感は、振り返れば小2頃からあった。何かに統率されて集団で同じ道を歩むのが生理的に苦手だった。量産型的手法の方が安牌でコスパが高いのだとしても、そこにマニュアル的無機質さを感じると風流の欠片も感じられず、距離を置きたくなる。
しかし…その手の量産型には違和感を抱いてしまう部分もあるが、とはいえそうすることで自分の描く目標を達成している人もいるのだろうから、それもまた一つの正解として否定はできない。
SNSで露骨なプロフィール誘導をする人
特にTwitter。露骨なプロフィール誘導が気持ち悪い理由として以下が挙げられる。
- かまちょ感/必死感が風流でない
- 啓発感がうざったい
- やっている人が多い(流行に安易に乗る安っぽさ)
- プロフィールも量産型(謎に顔のイラストが多い)
- そもそもアカウントが胡散臭い
魂売りすぎ。
副業などでの稼ぎ方を教えるとか言って公式LINEなどに誘導する人
副業で十分に稼げていないから、情報商材ビジネスに乗り出した感が強い。「とっておきのノウハウ」を教えてライバルが増えたらどうするの?と突っ込まずにはいられない。全てがフェイクだとか低クオリティだとか言うつもりはないが、そういったものに手を出すなら、もうその稼ぎ方は潮時である可能性を頭に入れておいた方がいいだろう。
全方位的な愛をやたら前面に押し出す人
「愛」は人間にとって欠かせない重要な存在であることに疑いの余地はない。愛は神であると誰かが言ったが、私もそれには同意だ。しかし、全方位的に無差別に「愛」を押し出してくるヒッピーみたいな人は、正直ちょっと胡散臭い。なんか上手く言語化できないけど、自分に酔っているというか、自分を守るのに必死というか、悟った風を装っている感じがするというか。視野の狭い偽物感が滲みでているように感じられるのは私だけだろうか。
皆に笑顔になってほしがる人
皆に笑顔になってほしい、皆を笑顔にする、という類いの言葉を目/耳にすると、押し売り感があってすごく陳腐で野暮に感じる。他人の表情(≒感情)を勝手に決めようとする、押し付けようとするのがおこがましい。「皆に笑顔になってもらえたら嬉しい」ならまだ良い。違いが分かるだろうか。
福利厚生がやたら多い会社
求人やHPにゴチャゴチャと福利厚生を記載している会社はシンプルに胡散臭さを感じる。色々書いていても、実際に運用されているか、利用率が高いかはまた別の話。業務とは関係のないところに惹かれて応募する人が増えても、企業としてはあまり良いことないんじゃないか。あるいはそのようなゴチャゴチャした福利厚生に惹かれて選んでくるような人なら労働力として上手いこと搾取し続けられるとかいう考えに基づいてそうしているのかも、なんて勘繰ってしまう。
求人や説明会で社長の存在が強く打ち出されている会社
やたらと社長を持ち上げる風潮のある会社には宗教みを感じる。離職率の高さが予想される。残った社員は洗脳済か。あえて名前を出すならDYMとか。
マッチングアプリでテンプレ文を送ってくる人
媒体問わず「プロフィール読んでなさそう」かつ「個別化要素(ほぼ)ゼロのテンプレDM送ってくる」タイプの人は相手がそれを受け取ったときにどう感じるかについて想像力を働かせる機能が壊滅しているか、それでもなお反応するようなアホを釣るためにあえてそうしているかのどちらかだと思っている。
挫折からの活躍を前面に出したがる人
プロスポーツ選手になることを目指していたが怪我で…
学校では成績が悪く周囲には馴染めず…
しかしビジネスの世界で結果を出そうと頑張った結果、今の私がいます。(私に付いてくれば間違いありません。まずは超有料級限定教材を特別に無料で貴方に…)
みたいな感じの人。「私は別に有能な人間ではないけれど、それでも上手くいったのだから、君だって出来るはずだ」というタイプのメッセージを伝えんがためのエピソード語り。情報商材系に多い。自信のない情弱を落とすための常套手段である。
世の中は胡散臭い何かでいっぱい
以上はあくまで一部の側面を切り取ったときの話であり、実際に人を見る際はその他の様々な要素をも総合的に鑑みて判断することになる。とはいえ、胡散臭さを嗅ぎ取ったなら、それを忘れないでおくことだ。下手すればいつの間にかその養分にされてしまうことだってありうるからだ。
今日もまた地震があった。それに乗じて胡散臭い人たちから連絡が来る。彼らも必死なのだ。
2022/01 作成
2022/05 編集・公開
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