「今年は毎月10記事は公開する」と年初に決めたので、ラッシュで記事を書きまくっている。
2月頃、山手線に揺られているとこの車内広告が目に留まった。
美容整形大手クリニック「湘南美容外科 (SBC)」による、女子高生に向けた二重整形の広告だ。
前は運動、嫌いだった。汗で二重のり、取れちゃうから。
汗、水、すっぴん怖くない!たった3年の高校生活。1秒でも長くカワイイ私で過ごしたい。
二重整形は人気だ。昔よりも二重の人は増えたように思う。
美人とされる女優や女性タレントも、二重の人の方が圧倒的に多い。イケメンとされる俳優や男性タレントも然り。それは今に始まったものではなく、昭和の女優などを見ても同じだ。
つまりは、二重の方が一重よりも美しいと見る向きは(少なくとも日本においては)強い。そして、そう感じるかどうかも、整形するかどうかも個人の自由であるし、広告を打つこと自体も企業の自由だ。春は休暇と進学に伴う心機一転のシーズンであるから、このような容姿に関わる広告は多い。(例えばコンタクトレンズもそう)
しかし、この広告を見た2秒後、違和感を覚えた。
「1秒でも長くカワイイ私で過ごしたい」―
仮に一重の人が二重になることによって、(本人にとって)カワイイ私になるとする。
しかし、整形したら1秒どころではなく、何年・何十年という単位でカワイイが持続することになるではないか。
「通常よりも取れにくい二重のり」の広告であれば、このコピーになるのは分かるが、整形が持続的かつ事実上不可逆的な行為である以上、違和感を抱かざるを得ない。
また、確かに「一重より二重の方がカワイイ」と感じる人は多いし、このコピーと同じことを考えている現役女子高生はたくさんいることだろうが、一般消費者の(センシティブな)気持ちを勝手に代弁しようとしているのが気持ち悪い。当然ながらこのコピーは現役女子高生が作ったものではない。他の様々な広告に関しても言えることだ。
…以上はこの違和感の本質的なところではない。
ただ、二重という、基本的には生来の、それもコンプレックスを抱かれやすい外見的特性を「カワイイ」と形容することで、それ以外の人(一重の人)が画一的に「整形することでカワイクなる余地のある存在(=二重の人よりも現状カワイクない存在)」であるかのような印象が生まれてしまう。ここに問題があると感じた。
また、「たった3年の高校生活」という煽り。特に高校時代は容姿の良し悪しが露骨に取り沙汰されやすく、「カワイイ」ことの価値が高い時期だ。高校という非常に狭い世間に生きる女子高生たちの容姿コンプレックスを刺激し、私もカワイクならなきゃという強迫観念に拍車をかけ、時にますます肩身が狭い思いを抱かせることに繋がるようなこのような広告に対しては、イヤらしさを感じずにはいられない。
この広告はネットでも話題になり、批判も多かったようだ。
しかし、冷静に見てみると、この広告はなかなか上手いと感じた。
「二重かそうでないか」に目が行きがちだが、ここでポイントとなるのは、この広告が、一応は「日頃『二重のり』を使っている人」に向けたものであるということだ。
つまり、「二重のり」を使っている女子高生たちからすれば、「生来の姿である一重よりも、二重の自分の方がカワイイ」のは自明であり、短時間の効果しかなく汗などで崩れやすい「二重のり」よりも、整形の方が合理的である。
だから、この広告は「二重の方が一重よりもカワイイ」という価値観の押し付けじみたものではなく、あくまで「二重の方がカワイイと感じている人にとって、整形二重の方が二重のりよりももっと(快適に)長いカワイイ時間を過ごせる」という、ある種当然のことを言っているに過ぎない。という逃げ道を用意できている。一重という言葉はこの広告には一切出てきていない。批判を招くことの想定をもちろんのこと、ギリギリを攻めることで賛否両論が起きて話題になることも想定していたのかもしれない。
「目」は顔面において特に目立つ要素の一つ。同じく存在感の強い鼻や口や輪郭とは異なり、時間も費用もかからない割に大きな変化が得られるので、特に整形のファーストステップとして選ばれやすい。そして、3.9万というのは二重整形の相場に比べてかなり安い方であるらしい。未成年の場合、施術には法定代理人(親権者)の同意が必要だが、この金額であれば、親を説得しやすい。効果的な訴求といえる。
若いうちに整形を覚えれば、リピーターになりやすいであろうことは容易に想像できる。整形はいくらやっても満足するのは難しいと言われる。彼女たちが大学生や社会人になれば、もっと自由に使えるお金が増えるので、ちょうど良い頃合いでクーポンを配布するなどしつつ、中長期的に育成できる。美容整形業界はガッポガポですなぁ。
2023/05/30
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