国民的アニメ、「ドラえもん」。
幼き頃は、金曜日の夜7時が楽しみだった。映画もよく観にいった。
ドラえもんの道具が欲しくてたまらなかった。
クリスマスイブに靴下の中に「ドラえもん」と書いた紙を入れて、翌朝ドラえもんがいなくて泣いたこともあった。知能が低い。
一見和気藹々とした楽しく微笑ましいアニメであるが、大人になってから冷静に観てみると、垣間見える残酷な事実に少々やるせなくなる。
大学生になってからアニメ(大山版)を100話分以上観て感じた、その残酷さについて触れていく。(私が子供の頃のドラえもんといえば大山版であり、大山版以外のドラえもんは生理的に受け付けないため、観ていない)
念のため、登場人物を整理しておく。
- ドジで間抜けで運動音痴で学習能力が低くて成長しない無能なメガネの小学生・のび太
- 22世紀からのび太をサポートするためにやってきた猫型ロボット・ドラえもん
- のび太が好意を寄せる心優しくお風呂好きな女の子・しずか
- 「お前のモノは俺のモノ」通称ジャイアニズムを振りかざすガキ大将・ジャイアン
- 圧倒的金持ちの御曹司にしてジャイアンの子分的存在・スネ夫
- のび太のママ、ジャイアンの母ちゃん、学校の先生、優等生の出来杉など
ジャイアン
大山版ドラえもんは2000話近くあるが、そのストーリーはのび太が何かに失敗したりジャイアンにイジメられたりしてドラえもんに泣きつき、秘密道具を借りて問題を解決するも、調子に乗ったのび太が最後は泣きを見るという構成が専らだ。
ジャイアンが登場しない回はほとんどなく、大抵の場合、のび太は馬鹿にされたりイジメられたりする。(※ただし、ジャイアンは劇場版では良い奴になる。これを『ジャイアン映画版の原理』または『ジャイアン映画版の法則』という。)
しかし、理不尽な弱い者いじめを日常的に繰り返すジャイアンには悲しい背景がある。
同年代に比して圧倒的パワーと横柄な性格を以て、ガキ大将として君臨するジャイアンであるが、母親(「母ちゃん」)だけには頭が上がらない。
ジャイアンにとって、母ちゃんは恐怖の対象だ。
なぜなら、母ちゃんによって、日々圧倒的虐待を受けているからである。
それを物語る、印象的なエピソードがある。
大山版ドラえもん第1133話「ジャイアンをしつけよう」(1991年6月21日放送)。
作品序盤に憂さ晴らしのために理不尽にボコボコにされたのび太がドラえもんの道具で復讐。そのせいで不幸が訪れまくり、ますますイライラするジャイアン
そんなとき、彼の視界に三頭身くらいの少年が。(のび太っぽいけど違う)
正気と自制心を完全に失い、荒れ狂いながら少年に向かって万歳の姿勢で走り出すジャイアン。
何の落ち度もないのに、自身の三倍ほどのゴツさのジャイアンに十数発ほどの拳骨を突如喰らわされる少年。通り魔すぎる。
買い物中に息子の愚行を偶然見かけたジャイアンの母ちゃん。
凄まじい勢いでジャイアンの元に駆けつける母ちゃん。
助走をつけての跳び蹴りが首元にクリーンヒットし、吹っ飛ばされるジャイアン。
元々プロレスか何かやっていたのだろうか。
土埃が沸き立つほどに我が子をボコボコに虐待する母ちゃん。ジャイアンも為す術なし。
暴力をやめるよう懇願するジャイアン。
「店番もしないで、余所様の子いきなり殴るなんて、母ちゃんはそんな育て方、してないつもりだよぉ!」
「そうかなぁ、俺いっつも母ちゃんにいっきなし殴られて育った気がするけどなぁ」
口答えしただけで、母ちゃんはさらにエスカレート。
「なぁんだってぇ!もう一度言ってごらんよ」
握り拳でさらなる制裁を受けるジャイアン。
さて、今の一連の流れを見ていただいたところでお分かりの通り、ジャイアンは母親による一方的な虐待の憂き目に遭い続けてきたのだ。口答えしただけで、公衆の面前であろうが関係なくぶん殴られ続けるのだから、相当なものだろう。
それに、助走で加速しての跳び蹴りを首元に喰らわせる手加減のなさ。
いくらガタイの良い彼とはいえ、病院送りになったことは一度や二度ではないだろう。
そんな不遇な人生を歩んできたジャイアン。
彼が「一日一度はのび太を虐めないと気が済まない」と言うほどにのび太やスネ夫に日常的に暴力を振るうのは、生来の暴力性に加えて、そうした鬱憤を晴らすためでもあるのだ。
なお、幼い頃に虐待を受けていた子供が、成長して力をつけて、逆に親を虐待するというケースはよく見られるが、将来的に剛田家もそのような状態になる可能性は充分考えられる。
スネ夫
スネ夫はジャイアンの金魚の糞。ほぼ常にジャイアンと一緒にいる様子が描かれる。
しかし、それは周知の通り、恐怖による支配の結果に過ぎない。
たとえば、スネ夫がドラえもんの道具により自信をつけたときは、即座にジャイアンに反発する。
ガキ大将として皆の輪の中にいるジャイアンであるが、実のところ誰からも愛されてはいないということが、そんなところからもよく分かる。
スネ夫は財にモノを言わせる家庭で相当に甘やかされて育ったことと、ジャイアンによる理不尽な支配の影響もあってか、小学4年生にして人を陥れることや見下すことばかりを考える腹黒さが肥大してしまった。
のび太を馬鹿にするのは、己より低い立場の存在を作り上げることにより、相対的に自分を優れた存在であると認識するためと言える。
家庭教師がついているが、成績がいいタイプではない。家が金持ちであり教育熱心であるにも関わらず、地元の公立小学校に通っているということは、私立小学校の受験には落ちた可能性が高い。親からのプレッシャーも相まって彼のコンプレックスとなっている可能性が高い。
また、皆に何か高価なモノを自慢するのは、そのモノの価値を保有する自分自身にもその価値が投影されると信じているからであるわけだが、それはジャイアンの抑圧により傷つけられた自尊心を守り、己の価値を確認するための行為なのだろう。
彼が小学4年生にして自己愛猛々しい極度なナルシストである理由は、家が裕福であることに加え、そんなところにもあると思われる。
彼もまた、行く末の心配な一人である。
のび太
のび太は、作品全体を通して、ジャイアンにいじめられたり、スネ夫に馬鹿にされたり、成績の悪さをママに叱られたりして、ドラえもんにすぐに泣きつく。
恐らく、日本の全アニメ作品の中で、流した涙の容量はトップクラスだろう。
しかし、彼は嘘泣きが得意であり、懲りずに騙されるドラえもんは「今回だけだよ」などと言いながらのび太に秘密道具を渡す。
のび太は間抜けな一方で狡猾な一面も持ち合わせており、ドラえもんを道具として見なしていると取れる言動が目立つ。
そんな彼は、道具を手にして調子に乗り、他者を陥れたり見下したり、無関係な人間まで巻き込んだりして、人々に迷惑をかけ、最後には自滅することが多い。
たとえば、秘密道具を使って他の子供達から彼らが一番大切にしているものを差し出させるという自己中心的かつ無慈悲な行為に走ったりする。
また、小学4年生にしてはいきすぎたスケベ心も顕著であり、何かしら理由をつけてしずかに服を脱ぐよう要求するなど、性犯罪者としての素質が表出している点は見逃せない。
大山版アニメの終盤は優しい少年として描かれることが増えてくるが、いずれにせよ、人格的な難が目立つことが多い。
その他
ヒロイン的存在であるしずかは潔白かと言えば、そうではない。
のび太を馬鹿にするスネ夫を否定することなく、そればかりか一緒になって笑うことも多く、傍観者としてイジメに加担している節がある。(アニメ終盤に近付くにつれてのび太同様に優しさが増してくるが)
イジメは、傍観者の存在も重要になってくる。彼女もまた、加害者の一人とも言える。
ドラえもんは明らかに学習障害であり、頭が弱くて無駄な行動が多く、のび太の精神的成長のためにやってきたはずが、のび太を甘やかして堕落させてしまっている。
さらには、世界を混乱させるような道具を判断能力の乏しい小学生に貸してしまうのだから、相当無責任である。タイムパトロールの取り締まり対象にならないのがあまりに不可解だ。
のび太のママは教育熱心であるが、いつものび太を叱るばかりで(時には何時間も)、誉めて伸ばすということを知らない。感情的に叱ってばかりいては子供が萎縮してしまい、教育上逆効果になってしまう。のび太の性格が曲がるのも無理はない。
学校の先生は、劣等生であるのび太の言い分に対して聞く耳を持たない傾向にあり、教育者として失格である。
このように、このアニメ、主要キャラクターの多くは何かしらの大きな欠陥を抱えている。(言うまでもなく、それがこのアニメを成り立たせているのだが)
2017.06
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