【6つの指針】子供はこう育てたい

価値観

自分に子供ができたらどう育てるか。
10年後も子供はいない可能性が高く、まだまだイメージできない部分が多いが、ちょっと考えてみた。

思考力を育む

答えを与えない。考えを押し付けない。
的確な問いかけによって思考を促し、自ら仮説を立てては検証する姿勢を育む。

そうする中で、論理的思考力や推察力、批判的精神や言語化能力などが磨かれていく。

考える力は、騙され搾取される可能性を下げ、自分の歩みたい人生を上手く掴み取る上で、あまりに重要な基礎力だ。

意思を尊重して見守る

何かを無理矢理やらせることはない。少なくとも自分の意思で選んでもらう。(自分の意思で選ぶように多少は誘導することにもなるかもしれない)
好奇心と自発性を尊重し、やりたいことや夢中になれることがあれば、機会を惜しみなく与える。

あれこれ口出し手出しせず、然るべき局面のみ、補助輪程度に手を差し伸べる。

世界の広さを知ってもらう

世界の最先端をいく科学技術の結晶、大自然や古代遺跡、様々な人間や様々な仕事、キリスト教圏もイスラム教圏も、大都会での生活から沈みゆく小さな島での生活まで、多様な物事に触れる機会を共有する。

つまり、小さい頃から世界の様々な場所に連れていくことにもなる。(必然的に、私自身が時間を自由に取りやすいライフスタイルを選ばなければならない。それ自体が私の強い望みでもある)

そうやって、「世界はとても広くて、興味深い」「色んな生き方や考え方がある」「正解などない」「選択肢はたくさんある」ということを身を以て体感してもらう。

そこで感じたことや考えたことの内省や言語化を促し、思考力や感受性を深く醸成できればと思う。

動物的な強さを鍛える

何をするにも応用の効く、汎用性の高い身体能力や反射神経を育むべく、野山や無人島などで野生的な生活を共にする時間を何度かにわたり設ける。

また、強盗や頭のおかしい人に絡まれてもすぐに逃げられるように、速力を鍛える。
逃げられない場面での暴力にも対応できるように、護身術も身に付けられるといい。

自然の素晴らしさ、人間のちっぽけさ、地球で生きることのありがたみに触れられるよう、プログラムを作ってともに楽しみたい。

自己肯定感を育む

自己肯定感を高めるために、日常的に愛情を伝え、信頼していることを示す。
自分という存在そのものが他者(この場合親)に受け容れられているという感覚を育む。

幼少期にいかに親から愛情を注がれたかが、自己肯定感を大きく左右するとも言われている。
自己肯定感があまりに低い人を何人も見てきたが、やはり生きづらそうな印象が強かった。

「自分ならいける」「大丈夫だ」と、折られても立ち直って笑顔でいられる精神性・バイタリティがあれば、失敗しても立ち直りやすく、様々なことに臆せず挑戦していけるし、円滑で健全な人間関係を築きやすい。

多言語運用能力を育む

例えば日本語しか使えなければ、全人類の2%としか(直接的な)会話ができない。

英語を使いこなすことができれば、会話できる相手の絶対数、得られる情報量が格段に違ってくる。それに伴い、人生における選択肢の数が格段に増える。

加えて特に中南米で広く使われるスペイン語も難なく使いこなせられれば素晴らしい。

これらはとどのつまり、何のためか。

人が力強くハッピーに、そして好きなことを選び取って生きていくための基礎として、それらが特に重要だと思うからだ。

これらは、私のこれまでの経験や価値観をモロに反映している。

例えば、小さい頃からよく海外などに連れていってもらえた経験は確実に今に生きているし、先天的に走るのが速かったことは様々な場で役に立っている。

今後様々な経験を経て、あるいは社会状況の変化を受けて、これらが変わることはあるかもしれないし、結局どう育てるかは本人の生来のパーソナリティ次第でもある。

いずれ訪れるその瞬間を楽しみにしながら、与えられる価値を最大化すべくまずは自分を高めていきたいところだ。(経済力と自由な時間は必須)

—追記—

子供はその多くの時間を当たり前のように学校で過ごす、そんな世の中になっている。
しかし私は、(少なくとも一般的な日本の)学校での時間はコスパが悪すぎると感じている。

過ごす時間が長い割に変化に乏しく、教育レベルは低くて偏りが激しく、個々への対応力は弱く、組織としての柔軟性に欠け、同調圧力が強い。全体的に無駄な時間が多すぎる。そして教員たちは学校という狭い世界のことは知っていても、それ以外をあまり知らないので、大して参考にならない。同世代や教員くらいとしか直接コミュニケーションを取る機会が得られないのはあまりに多様性に乏しいし、それが15や18まで続くのはゴミでしかない。

子供の豊かな感性やスポンジのような吸収力にはあまりにロースペックな環境であり、私個人の経験としても非常に勿体ない時間だったと思う。私は、子供を脳死で学校にブチ込むなんてことは絶対にしたくない。せずに済むような家庭にしたい。

とはいえ、10年後や20年後にどうなっているのかは分からない。(私の頃や今よりはずっとマシになっているとは思う)
小学校に入るくらいの年齢まではホームスクーリングで、価値があると思える教育機関があれば通わせればいいと思うが、いずれにせよずっと通う必要もない。学校で過ごす時間よりも価値ある時間を過ごせる機会を提供できるのなら、あるいは本人が掴み取れるのなら、学校なんてせいぜいたまに行くくらいでいい。

2018/07 作成
2023/03/05 追記

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