南米コロンビアに留学する直前、年末に富士山樹海で野宿した翌日にヒッチハイクで大阪・梅田に移動して高校同窓会に参加して公園で野宿したり、年末に渋谷のクラブで知り合ったオレオレ詐欺師とクラブに行ったりと謎のムーブをしていた2017-18の年末年始のある日、大学の友人Kと渋谷・ハチ公前で落ち合った。
彼のノートに「人生相談(10分100円)」とマジックでササッと書き、ハチ公近くに座った。
これは高校時代からやりたいと思っていたことであった。色んな人の人生に触れて、かつ力になれたら面白い、と思っていた。
大学2年頃、ニューヨークの地下鉄で11歳の少年が人生相談に乗っているという記事をネットで見かけたことでさらにその意欲が高まり、そのことを筋トレ仲間でもあったKにジムでなんとなく話したところ、一緒にやることになった。
二十歳そこらの人間に、本気で人生相談したい人はあまりいないだろう。だからこそのギャップ・新規性を演出できるのではと思った。
1人でやるのはいささか抵抗があったが、2人ならそうでもない。1人でやるのが億劫で結局何もしないよりは、仲間を呼んで入り口のハードルを低くして実際に行動に移してみれば、今後1人でやるハードルは確実に下がる。
というわけで、まずは理想のカタチに囚われずに実際にやってみることにした。
開始早々、ヘッドホンで音楽をガンガン聴いている若い外国人男性が隣に座ってきた。
彼は明らかに興奮状態だったが、何より異常だったのは、垂れ流しまくっていた大量の鼻血であった。シャツが赤く染まっていた。
彼は相談を受けにきたわけではなかったが「ヤバそうだなコイツ」と思って声を掛け、事情を聞いた。
日本語は割と話せて、かなり度の強いメガネをかけていた。ニュージーランドから来たという彼は、酔った友人と女関係で揉めてキレられ、金属バットで鼻を殴られて逃げてきたのだという。
彼と色々話していると、フレンドリーそうな老人がやってきて、ふいに100円玉2枚を渡された。
彼は、ハチ公前で観光客らの写真を代わりに撮影してあげるという個人ボランティアを3年ほど頻繁かつ自発的にやっているという謎すぎる80歳。
相談内容は、「どうすれば撮影拒否率を下げることができるか」というもの。人生相談感はあまりない。
まず、実際に活動しているところを見せてもらったが、確かに拒否率は高い。外国人に対してもカタコトの英語で話しかけていたが、曖昧な表情で避けられまくっている。
見た目が怪しげだったので、警戒されやすいというのもあるだろう。頼む側からすれば、携帯やカメラを奪って逃げられるというリスクがある。私も携帯を渡すことを少し躊躇するだろうと思った。
爺から、彼と同じように人々に声掛けしてみるよう促されたが、そのタイミングで写真撮影しようとする観光客たちがいなくなったので何もしなかった。恐らく我々3人が意図せずハチ公正面を占領してしまっていたからだろう。
アドバイスとして、
「ボランティアスタッフとでも書いた名札を付けてオフィシャル感をでっち上げる」
「デジカメを首から下げて”カメラの人”感を出して安心させる」
といった案を提示した。
爺が去ったあとも、人生相談を続ける。
こっちを見て反応を示す人はいても、立ち止まる人はあまりいない。
ハチ公前は確かに人が多いが、外国からの観光客も多く、ターゲットになりうる人間の割合は小さいと感じたので、少し場所を変えてまた座った。(英語で相談に乗れる自信はなかった)
また、どうすればもっと惹きつけられるかを考え、ノートに書いていた文言を、様子を見つつ仮説を立てては色々書き加えた。
さっきの爺がまたやってきて200円渡されて、再度相談を受けることに。
相談内容は「55年連れ添った81歳の奥さんに恋人がいるらしく、奥さんのためにも離婚をした方がいいのか」というもの。
これは人生相談っぽさがある。81歳でも恋愛するものなんだな。
そもそも奥さんは離婚をしたいのかと聞くと「そんな気がする。長年連れ添っているから分かる」などと言う。
そこで「まずは相手の意思を正確に把握するためにきちんと話し合いをする」ことを提案し、加えて双方にとっての離婚のメリットとデメリットを尋ね、奥さんの意思とそれに伴う爺の行動をパターン分けして説明した。
たとえ長年連れ添っていたとしても、フィーリングにばかり頼って、言語でのコミュニケーションを疎かにしてはいけないと思った。
そうやって相談活動をしていると、近くで何やら演説している若い人たちの集団がいることに気付いた。
何だろうと思っていると、爺がまたやってきて、一緒に絡みにいくことになった。彼はフットワークが軽くてコミュ力と好奇心が旺盛で若々しい。
爺は色んな人にフレンドリーに話しかけるが、それは寂しさから来ているのかもしれないな、と思った。
その若い人たちは「幸福の科学」の信者の学生たちだった。(幸福の科学が運営する大学に在籍)
少し話をしたあと、また相談を再開しようとしていたところ、冊子配りをしている学生信者たちに絡まれた。爺を交えて雑談していると、「宗教は必要ですか?」と書いたボードを持った5人組がやってきて質問された。
「誰にとってですか?」と尋ね返すと「あなたにとって!」と言うので、渡されたシールを「必要ゾーン」に貼る素振りをし、咄嗟にフェイントをかけて「必要ないゾーン」に貼り付けた。(「おーー!!!」という歓声から「あーーっ・・・」という落胆の音に変わった)
回答の理由を尋ねられたので「宗教は人々に教えを説いて導くものだが、僕は自分で試行錯誤し探求し切り拓いていくことに喜びを感じるから。もちろん必要としている人がいることは間違いないだろう」的な本音を答えると、「素晴らしい!」と反応された。多分何を言っても「素晴らしい!」と肯定してきそうだ。
別に宗教を否定するわけではないし、聖書とか経典とかに書かれているようなことは人間社会において必要な、ある種「真理」と言えるようなことばかりなのだろうと思う。
しかし、私は自分にとっての「真理」を自分の手で模索していきたい。そのソースが特定の宗教である必然性はないし、そもそも「宗教」である必要もない。
なお「あなたは幸福ですか?」とも尋ねられたので「はい」と即答すると、また同様に「素晴らしい!」という反応が返ってきた。
言うまでもなく彼らは「幸福じゃないです」「幸福か分かりません」と答える人を求めているのだろう。
その近くで「親に隠し事のある人を探しています」と書かれたボードを掲げる人がいたので、この人たちも幸福の科学か?と思いつつ絡みにいくと、TBSの番組だった。
櫻井有吉なんちゃらという番組の、親への隠し事に関する悩みを相談するコーナーに登場してくれる人を探しているのだそう。
「何か親への隠し事ありますか?」と尋ねられたので、「最近上海で半日に二度詐欺に遭った話」と「最近富士山の樹海で野宿した話」という2つの話をすると、仮採用ということでビデオ撮影に移った。
そうした出来事を悩み相談というカタチにするわけであるが、まあハナから悩みなんてないわけで、だからそのストーリーから無理矢理悩み相談に持っていくわけで、当然不自然なものになる。
スタッフの人の「こう言ってください」という指示の内容が微妙すぎることに戸惑いを覚えながらも、無事やりきった。
会議を踏まえて採用されれば連絡してまた撮影すると言われた。ちなみに不採用だった。そりゃそうだ。番組の裏側を垣間見ることができた。
なお、関西の大学に通う高校時代の同級生(旅行中)と偶然にも出くわした。
少し暗くなってきたので、ハチ公周辺での相談活動は1時間ほどで終了し、日蓮宗関係の信者の勧誘を受けたのちに出会いカフェなる怪しくてキモい空間に飛び込むなどした。
この日は他にも色んな人と絡んだが、改めて「オープンな姿勢でいれば、想定外のチャンスが舞い込んできて人生は楽しく刺激的になる」と感じた一日だった。
多くの人は、怪しげな人や変わったことをしている人を見かけると、反射的にシャットアウトしようとして、絡もうとはしない。
しかし、何かに対して「怪しい」だとか「変」だとか「リスキー」だとか感じたならば、遠ざけるのではなく「想定外を招くチャンス」だと捉え、(リスクも考慮しつつ)ガンガン行動を起こしていけば、ドラマティックでワクワクする日々を送ることができる。
成長すると保守的になってしまうものらしいが、この姿勢は大切に、強化していきたいと思った。
2018.01
【追記】
留学を終えて、2019年に入ってからも、渋谷駅前や原宿駅周辺で何度か実施してきた。
やるたびに工夫を加えていき、確かな手応えを掴むこともあった。
様々な人とコミュニケーションをとることができるし、アピール力、アイスブレイク的雑談、傾聴する姿勢、当意即妙の返しなど、色々鍛えられる。
もし、この活動を通して提供した回答が、当事者たちにとって何かしらの後押しなどになっていれば幸いである。
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