愛とは等身大をさらけ出す勇気と、違いを受け止める勇気を持つこと(by 芦名勇舗)
この素晴らしい名言を、恋愛シーンに当てはめたとき。
相手の人生に価値をもたらしたい、相手と豊かな関係を築きたいという強い気持ちがなければ、自分の等身大を曝け出すのは難しい。ショボいと思われるかもしれないし、波風が立つかもしれないし、嫌われるかもしれない。
そんな障壁を乗り越える勇気を抱けるほどに、相手に対して真剣であれば、それは愛であると言える。大切な存在なはずなのに、偽りの自分を演じて、表面的な関係を築くことは、誠実や敬意とは真逆の状態。
だから、曝け出さないのは愛じゃない。ただ、露骨に曝け出すのは優しさじゃない。あくまで相手の、あるいは2人の未来をより良いものにしようという姿勢を前提として、相手に敬意を示しながら、伝え方に注意を払って、丁寧に伝えなければ、信頼関係は簡単に崩れてしまうかもしれない。もちろん、ただ伝えればいいってもんでもなく、タイミングも重要だ。
そうして曝け出したとき、やはり別の人間である以上、2人の違いが明白になる。
性格や欲求や価値観、物事の判断基準や優先順位、将来のビジョン…。全く同じなわけがなくて、時には正反対で、衝突を生むこともあるかもしれない。それで消耗することだってあるかもしれない。
それでも、そうした違いを受け止めて、理解を示して尊重することができるなら、そんな勇気を抱けるのなら、それはその先にある愛であると言える。
違いがあるほど愛は深まるし、その先どんな違いが新たに生まれても、容易に揺るがない愛になるだろう。
自分が受け容れることができても、相手が受け容れられるとは限らないし、その逆も然り。
いずれか一方が違いを受け容れられないのであれば、その愛はそこまでなのであって、人はそう簡単に変わるものでもなくて、変えようと試みるのは自分都合の押し付けなのであって、変えることが正義なんてわけでもなくて、それはもうどうしようもない。
十分に伝え合ってそれでもダメなら、少なくとも今は縁がなかったということ。その事実を受け容れるしかない。
2024.02.29
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