この記事では紳士淑女の社交場「蝋燭を囲む会」(またの名を「The Candle Society of Homo Sapiens」)を紹介する。
部屋の明かりを落として蝋燭を灯し、静かなインストゥルメンタル音楽をBGMに、少人数で蝋燭を囲みながら、酒を飲み交わす。ゆったりと寛いで、好きなように語り合う。
アパートの一室に現れる異空間。貴族の優雅な嗜み事と見紛うような洗練された雰囲気。
要は、宅飲み-照明+蝋燭。
一般的な大人数での飲み会は、オープンな交流の場として開かれるものだが、
・席が固定で会話の相手が限られる(席替えはせいぜい1-2回)
・騒がしいから落ち着いて複雑な会話を交わしにくい
・その割に1人3-4千円とコストが高い
それもそれで楽しいものではある。
逆に、もっと密に落ち着いた会話を交わしたいのであれば少人数での宅飲みの方が向いている。
さらにそこで部屋を暗くして蝋燭を灯せば、より静かに、よりしっぽりと楽しめる。
ここで、誰得かはさておき、「蝋燭を囲む会」の起源について、記そうと思う。
大学1年の夏、大学の学科の同期らと山形県に集団免許合宿に行った。
その数、延べ40人超。(入校タイミングが皆多少違った)
毎晩のように人狼ゲームばかりして、よく序盤に殺されていた。
入校から1週間目、私は仮免試験で脱輪を2回かまして、まさかの不合格に。一人だけ延泊が決まる。
翌日無事仮免試験を突破したものの、その1週間後、私より1日早く卒検を受けた他の皆は無事にパス、教習所の手配するバスで帰っていった。
そうして私は、前日まで賑やかだった大部屋に一人取り残された。
2週間の滞在によりホコリまみれとなったその部屋を掃除機を借りて大掃除したり、旅館の温泉を独り占めしたり、悠々自適に過ごしていた。
すると、夕方になって天候が急激に荒れはじめ、旅館が停電。
夜、無能と化したエアコンを見上げても一向に晴れない7月の蒸し暑さから逃れようと、真っ暗な部屋を飛び出してロビーに降りると、旅館の従業員たちが白い皿に蝋燭を載せて、廊下にせっせと並べていた。
暗がりの中で目映く光る蝋燭をそっと眺め、見つめるうちに、いつしかその不思議な魔力に引き込まれ、包み込まれていたのであった。
翌日、卒検に受かったあと、教習所の人に米沢駅に送ってもらい、1万超の現金を受け取った。延泊によりバスで帰れなかった人は、電車代を出してもらえることになっていた。
脱輪で延泊して一人で帰らなければならないという一見マイナスなこの状況を、「結果として良かった」と振り返ることができるようにしたい。だから受け取った現金を使わずに帰ろう。
駅構内の電光掲示を見ながらそう思った私はその場をあとにして近くの広い道路脇に移動し、ヒッチハイクを開始した。
福島駅付近まで南下したのち、高校時代に一人旅したときにお世話になった宮城県のNPOに数日滞在して農業やイベント手伝いをして、またヒッチハイクで深夜2時にようやくアパートの前に辿り着いた。
その翌日には早速百均で蝋燭を購入し、友だちを2人呼んで蝋燭を囲んだ。
それ以来、「蝋燭を囲む会」(のちにThe Candle Society of Homo Sapiens)は、私のアパートの一室で、幾度となく開催された。
「今晩囲もうぜ」
怪しがられることもあったが、仲の良い奴はもちろん、友達の友達、話してみたい奴、面白そうな奴など、好きなように招待した。
男女7人くらいで囲むこともあれば、男2人で挟むこともあった。
蝋燭をたくさん灯す「蝋燭に囲まれる会」を開催したこともあった。
6つの大学、8以上の学群/学類、社会人含め、様々な人が参加していった。
蝋燭を囲む会に参加した者の中には「ここに来ると何か色々喋ってしまう」という者も何人かいた。
あとになって知ったことだが、暗闇の中で輝く光には、心理的障壁を下げる効果があるという。
キャンプファイヤを囲むと、なんか一体感が生まれる。それと同じようなものらしい。
あのとき仮免試験でハンドル操作を誤っていなければ、きっとこれは生まれていなかった。
大げさかもしれないが、人生万事塞翁が馬だ。
蝋燭に火をつけて、皿に蝋を垂らして、その蝋が固まらないうちに蝋燭の足を固定すれば完成。
皿についた蝋は洗えば落ちる。
火事には注意。小さな部屋の場合は換気を忘れずに。
2017
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